「西表島の近くにたった1人だけが住んでいる島があるんですよ」
那覇の居酒屋で一緒に飲んでいた沖縄の人がそう言った。
「え!? 1人だけですか…?」
「ええ。僕もまだ行ったことがないんですけどホントに1人らしいですよ。新城島(あらぐすくじま)の下地島(しもじしま)と言う小さな島なんですけどね。少し離れたところにある上地島(かみじしま)と合わせて新城島って呼ばれてるんですよ」
「へー、2つの島の総称なんですか…」
「ええ。地元の人はパナリ(離れ)と呼ぶみたいですけど」
「で、上地島は島の中での撮影は一切禁止なんですよ…」
「撮影禁止…?」
下地島は住民1人で上地島は撮影禁止の島…。
東京に戻ってからネットで調べるとあの石原慎太郎さんの小説「秘祭」のモデルにもなった島だった。新城島の話を聞いてから約1年後。西表島に来たついでに、その謎めいた島に寄ってみることにした。定期便はなく、旅館やダイビングショップがやっている日帰りツアーでしか行けない。
お世話になったのは西表島の大原港のそばにある「あずま旅館」。ここは新城島へのツアー(1万円)をフルシーズンやっている貴重な旅館。聞くと旅館のご主人の大舛(おおます)さんは、なんと上地島の出身だった。宿に荷物を置き、早速、船着場へ行くと7人乗りくらいの小さな船がプカプカ浮いていた。どうやらそれに乗る客は僕だけらしい…。
「じゃあパナリへ行きましょうね〜」
沖縄独特のイントネーションでそう言った後、まずは下地島へ向け海原を走り始めた。実は前日までひどい天気だったようだがこの日は時折晴れ間が顔を見せ、まずまず。
「今日はいい天気でラッキーだね〜」
と、大舛さんにも言われた。
荒れやすい冬の海。この日も波がやや高く小さな船は激しく揺れた。水しぶきがジャンジャン降りかかってくるので、大舛さんに言われ、運転席のすぐ後ろに立ち、両手で屋根をしっかり掴みながら、海原を進んだ。
すぐに新城島は見えたが、そのまま最短のルートで向かわない。おやっ?と思っていると、
「サンゴ礁を避けて走っているさぁ」
と、教えてくれたので、海を覗くと海の下に広大な珊瑚礁の姿が見えた。なるほど。
大舛さんは実に海が良く似合う。まさに海人(うみんちゅ)。日焼けした顔に麦藁帽子もよく似合ってた。宿で出す魚も全て大舛さん自ら釣っているらしい。
「西表島には漁師がいないからー、みんな自分で獲ってくるさぁ」
カッコイイ…。
西表島の大原港を出て20分ほどで下地島の桟橋に着いた。1月だがサラサラした風が気持ちがいい。島の中へ続く1本の道。両側には手つかずの海が静かに広がっているのが見えた。水際には透き通るような緑色のアーサーがユラユラ。振り返ると、もう一つの島「上地島」が見える。わずか400メートル程しか離れていない。
「牧場の中へは入っちゃいけないよ〜」
桟橋の下で浮かぶ船から大舛さんの声が聞こえた。島に住むたった1人の住民が管理をしている牧場(パナリ牧場)であり私有地だからだ。普段は1人(上地島は6人)だが、豊年祭の日は島の出身者がわんさか帰ってきて新城島全体で300人以上にもなると聞いた。
砂浜を少しブラブラ歩いた後、いざ島の中へ足を踏み入れる。恐ろしく何の音も聞こえない。そして置き去りにされた廃車や集落らしき跡、枯れ果てた貯水池…。なんとも寂れた風景に出会った。ここにホントに人が住んでいるのだろうか…。かつてはパナリ焼きと呼ばれるカタツムリと土を混ぜ合わせ草で焼く古土器も作られていた島と聞いていたがそういった面影はどこにもない。とんでもないとこに来てしまったと思い始めた時に牧場のサイロンへ続く道に出た。右手にはかつて何かの宿泊施設だったと思えるような造りの平屋のプレハブがある。
そこを通り過ぎようとすると、いきなりワン!ワン!と二匹の犬に吼えられた。どうやら番犬らしく、その苛立ったような叫び声は止まる気配がしない。放し飼いされており、少しづつその距離も狭まってくる。困ったぞ…。明らかに侵入者と思われている…うん?いやそうなのだ。侵入者なのだ。牧場には入ってはいけないと言われたことをようやく思いだした。(笑)
仕方なくそのまま桟橋へ向け来た道を戻り始めた。しかし、しばらくすると後ろから車の音が聞こえた。驚いてふり返ると1台のワゴン車が近づいてくる…。ドキッ…。怒られる?それとも、よく来たねーって握手を求められる?ソワソワして待っていると、車はそのままスーッと僕の前をあっけなく通り過ぎて行った。あらっ……。
ちょっぴり寂しさを感じながら、そのまま桟橋へ歩いていくと、桟橋の先にその車と大舛さんの船が仲良く並んでいるのが見えた。そこへ行くと船の上で二人で何やら話をしながら仲良くタバコを吸っていた。いい風景だ。どうやら牧場にいた僕がサインとなったようだ。後で聞いたが2人はお友達。島にたった一人で住んでいるおとうさんは帰り際、ちゃんと笑顔で接してくれ嬉しかった。
それから約10分後に上地島に着いた。こちらは下地島とは違って立派な港で、港の周辺もきれいに整備されていた。撮影禁止と聞いていたが、そんなことはなく全然問題なかった。撮影が禁止なのは島にある3つの御嶽(うたき)と、秘祭と伝えられている祭り。いずれも島の人間でない僕には向き合うべきものではなかった。
上地港のすぐ近く。上地島で一番きれいな風景が見えると教わったクイヌパナ(越の鼻)へ向かった。歩いて5分程。イールウガン(西御嶽)の鳥居の先にあった。石を積み上げて作られた階段を登ると絶景が広がっていた。すぐそばまで珊瑚礁が迫る美しい海。その海にゴツゴツした岩が点在する風景はまさに秘境であった。
島に飲食店はない。大舛さんの別荘で弁当を食べた後、ブラブラ集落を歩く。島の人に出会う度に挨拶をするのだが、数えるともう6人。つまり島民全員と挨拶を交わしたことに気づき、なんだかそれが嬉しかった。そして、そのままパナリビーチへ向かった。細い道を進み、タカニクと呼ばれる烽火台の手前を左に入った草むらの先にパナリビーチは静かに美しく広がっていた。
誰もいない大きな砂浜と青い海。石垣島を中心とした八重山諸島(全9島)は全て回ったが、海の美しさはトップクラス。しかしここは下地島同様に手つかずのビーチ。砂浜には椰子の実や流木などが流れついている。これが自然の砂浜なのだ。砂浜にこういうものがない場所は誰かがきれいに掃除をしているからなのだ。そんなことを思いながら、ゆたゆたとビーチでくつろいだ。
それにしても上地島は神秘的な島だった。かつてはジュゴンの漁が盛んだった島。そのジュゴンを祀るアールウガンと呼ばれる御嶽も集落からさらに森に入った所にある。島内は交通手段がまるでないのでたくさん歩いて回ったが、島全体が神秘に満ちていた。集落内にある小学校の跡地にそのまま残された3つの鉄棒までうかつに触れられないような気がした。
最後にもう一度クイヌパナへ上がると、調度、高速船がたくさんの人を載せて上地港に入ってくるところだった。神秘的な島は突然観光地となった。
西表島の大原に戻り、宿のシャワーを浴びた。宿の食事まではまだ少し時間があったので大原の集落付近をブラブラ歩いていると後ろからプップーと、クラクションの音がした。振り返ると白い軽トラックがこっちへ向かって来る。よく見ると運転しているのは大枡さん。そして後ろの荷台で何人かの子供達がはしゃいでいる。
「こんにちはー!」
と大きな声で挨拶をしながら、楽しそうに通り過ぎていった。
(05年1月:旅々旅人) |