旅々たびたび
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 ■関東方面:東京
千鳥ヶ淵・江戸城
 
国会議事堂
今年のお花見は、「千鳥ヶ淵」へ。
毎年、桜が満開間近になると家族で一度だけお花見に出かけることにしています。なぜ一度だけかというと、一度だけ見れば満たされるからです。(笑)我が家では、お花見といっても行った先でお弁当を食べるでもなく、お酒を飲むこともなく、ただ純粋に桜のあるやわらかい世界を楽しみます。ネットで桜が8分咲きであることを確認し、千鳥ヶ淵へ出かけたのですが、あまりの人の多さに途中で予定を変更することに…。
千鳥ヶ淵
地下鉄の九段下駅から地上へ出ると、もうそこは千鳥ヶ淵。無数の桜が視界いっぱいに広がります。桜の奥に見えるのは武道館。
千鳥ヶ淵
田安御門
皇居周辺地図
ボートに乗る人たち。1時間待ちと聞き、あきらめるのでした。
武道館への入口のような田安御門の桜。ものすごい人です。
半蔵御門辺り
半蔵御門
武道館前の看板
半蔵御門辺りに来ると、桜の姿はなくなりますが、緑に染まる深い土手沿いに黄色い菜の花が咲いていました。ここは、散歩やジョギングにいいコース。皇居を走るランナー達の気持がわかりました。
写真は、半蔵御門。かつて服部半蔵(家康の家臣で元は、伊賀の忍者)の屋敷があったことから名付けられた半蔵御門は皇居の入口。(入ることはできません)
武道館の前の不健康な看板。(笑)
この日は想像以上の人出。人混みが苦手な3歳の息子を連れて歩くのが大変になり、家族とは武道館で別れ、急遽ひとりで千鳥ヶ淵沿いを歩きながら皇居を一周することにしました。

国会議事堂
井伊直弼の屋敷跡
三宅坂へ出ると皇居と反対側の街並みに国会議事堂が現れ、ちょっと寄り道。
 
憲政記念館の側で、かつて徳川家の大老であった井伊直弼の屋敷跡の記念碑を見つけました。彼が殺害された桜田門外はこの屋敷跡からもはっきり見える近距離。
桜田門
桜田門
歴史的にも名高い桜田門は実に見事なデザインでした。桝形と呼ばれる迫力のある大きな門は、江戸時代から現存しています。門を見て感動したのは初めて。
 
安政の大獄を主導した井伊直弼が水戸浪士達(薩摩藩士ともいわれています)に殺害された桜田門外。
二重橋
桜田門から皇居外苑に入ると二重橋が見えてきます。二重橋越しに見える伏見櫓(現存)のある光景は絶好の撮影ポイントらしく多くの人で賑わっていました。ざっと見た感じ日本人よりも外国の観光客の方が多いかしら。左手は、皇居の正門。
皇居外苑
皇居の正門
江戸城の城壁と坂下門
今度は、マラソン禁止の看板を発見。(皇居外苑)
「あそこの門は何ですか?」と警備員に聞くと「皇居の正門です!」と怒られてしまいました…。
江戸城の城壁と坂下門(奥左)。日本的な伝統美を感じさせる風景が続きます。美しいところです。
大手御門
桔梗御門
仙台藩(伊達政宗の時代)が築造し、かつての江戸城の正門であった大手御門からいよいよ江戸城内へ入ります。(無料)この辺りは、枝垂桜がきれいです。
 
桔梗御門(ききょうごもん)と呼ばれる江戸城三の丸の南門。その奥左手に富士見櫓の姿。
百人番所
富士見櫓
かつての城内の番所で「百人番所」と呼ばれる長い木造の平屋。見応えがあります。ここを抜けると、とてつもない大きな岩を重ね合わせた城壁が続きます。(別日に撮影)
 
富士見櫓。桔梗御門から見るより随分小さい印象。消失後の天守閣の代わりでもあったらしい。
大奥跡の桜
大奥跡
天守台が見えてきました
大奥跡に咲く桜。

大奥跡。天守台に近い芝生のスペース内にかつての大奥はあったそうな。

天守台が見えてきました。手前にはきれいな芝生が広がり、多くの人が休日の午後を楽しんでいます。

天主台
江戸城の天守台。家康、秀忠、家光と三代に渡って築かれた五層(約48m)の天守閣が本来ならこの上に建っていました。第四代将軍家綱の時に起きた明暦の大火により消失し、それ以来なんと一度も再建されなかったという。もはやそういった象徴的なものも必要がなかった程徳川家は万全だったのでしょうね。
 
かつての江戸城
江戸時代初期の江戸城。(江戸東京博物館にて撮影)
 
江戸時代の日本橋
 
越後屋
 
江戸時代の大名屋敷
江戸時代の日本橋。(江戸東京博物館にて撮影)。
 
江戸時代の呉服問屋「越後屋」。(江戸東京博物館にて撮影)。
 
江戸時代の大名屋敷。(江戸東京博物館にて撮影)。
 
天主台から
天主台から。
天主台から。ほのぼのとした風景が広がっています。背後のビル群は大手町あたり。
 
天主台から。ここは、パワースポットです。
平川御門
天主台の石垣
かつて大奥への通用門とされ、江戸城の裏門でもある平川御門を通り抜け、江戸城を後にしました。
 
天主台の石垣。現存しています。
平川御門
清水門
平川御門を出、橋を渡ると毎日新聞社などがある竹橋あたり。ふと、不浄門とも呼ばれた平川御門から出て良かったのだろうかと、少し不安になるのでした…。(笑)
 

菜の花越しに見えるのは、清水門。

竹橋付近から見える城壁

江戸城は1590年に徳川家康が豊臣秀吉の指示で入る以前は、関東管領上杉定正の家老太田道灌(おおたどうかん)の居城(1457年築城)でありました。(しかし太田道灌は1486年に上杉定正の指示で殺害されています)当時の城内はひどく荒廃し、さらに城の周囲は荒地が広がる僻地であったとされています。家康のすごさはこの現状においても将来を見据えて城を大改造し、上下水道を初め都市開発を精力的に進め100万人都市への基盤を築き、さらには徳川264年(1603年〜1867年)の天下泰平の基礎となる政治の仕組みを構築したところ。その成功とは裏腹に人気は今ひとつですが戦国時代の勝者はやはり徳川家という事実。彼が基礎を造った街は今でも日本の中心となっています。そして彼が神となって祀られている日光東照宮は、戦災にも遭うことなく、いまや世界遺産になっています。なんという強運の持ち主でしょうか…。

そんなことをつらつら思いながら、皇居を一周しました。ゆっくり探索しながら歩いたこともあり、時計を見ると、スタートしてから約2時間30分経っていました。とてもおすすめの観光コースです。
 
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