旅々たびたび
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鳩間島
郵便船に乗せてもらい瑠璃色の島へ。  
鳩間港近くの民家
鳩間灯台 瑠璃色の海
野生のヤギ
 1:鳩間港近くの民家
 2:鳩間灯台
 3:瑠璃色の海
 4:野生のヤギ
鳩間島
[アクセス]
石垣島・離島桟橋→(船:約35分)→西表島・大原港→(レンタカー:約50分)・上原泊
西表島・上原港→(郵便船:約15分)→(徒歩:約3分)→鳩間島集落・集落内、ペンションマイトウゼ→(徒歩:約5分)→鳩間中森・鳩間灯台→(徒歩:約12分)→屋良の浜→(徒歩:約50分)→島内一周。
[関連サイト]
■美ら島物語
■郵便船 ふさきや丸
竹富町上原558デンサー食堂
TEL:0980-85-6515
■ペンションマイトウゼ
竹富町鳩間46-2
TEL:0980-85-6166
沖縄方面の名物
 
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「何も無い場所だけれど、ここにしか咲かない花がある。心にくくりつけた荷物を、静かに降ろせる場所…♪」

テレビから流れてきた、コブクロが歌う鳩間島を舞台にしたドラマ「瑠璃の島」の主題歌、「ここにしか咲かない花」のやさしい音色とせつない詩に、いつの間にか惹かれていった。彼らはこの曲を作る前に実際に鳩間島を訪れ、曲ができてから再び訪れ、島の人達の前でこの歌を歌ったと聞いた。

テレビドラマ「瑠璃の島」。漫画「光の島」。共にテーマは、鳩間島の里親制度。島を守るために島の外から子供を受け入れる制度だ。昔の話かと思っていたら今でもそれは続いているらしい。かつてカツオ漁が盛んだった頃(1950年〜1965年頃)の人口は約600人。それがカツオが獲れなくなってからは、どんどん島を離れる人が増え、今ではわずか50人から60人ほどが暮らしているそうな。

***

季節は冬。天気はどんよりとした曇り。西表島の上原港に浮かぶ郵便船「ふさきや丸」の前で船長の富里さんを待っている。石垣島からも定期便が日曜日以外毎日1便出ているが、冬は波が荒れ船が出ることは希。西表島の上原港へ出る船さえほとんどが欠航する。しかし、「ふさきや丸」は滅多に船を出さないことはないらしい。

「ふさきや丸」は、郵便物や物資を運ぶ小型船で、そこへついでに乗せてもらえるというわけだ。(1日1往復、片道1,000円:事前予約必要)鳩間島は港からもはっきり見える位置にある。午前中の10時から11時の間に出るというので缶コーヒーを飲みながら誰もいない港で待っていると、西表島の宿で見かけたおとうさんが集落の方から近づいてきた。評論家の荒俣宏氏によく似た風貌。

「おはようございます。散歩ですか?」
「いやいや、ここから出る郵便船で鳩間に行くんだよ」
「あらっ!僕もそうですよ」
仲間がいてホッとした。聞くと、おとうさんは定年退職してから日本のあらゆる島を巡ることを生きがいにしているらしく、もうほとんどの島を回ったと楽しそうに話していた。すごい…。首から下げられた重そうなカメラがなんだかすごいものに見えた。日本の島を制覇した男のカメラ…。やーカッコイイ。

10時半頃に、どこか自治体関係者らしい風貌の4人の男女と船長の富里さんも現れ、船は荒波の中を走り始めた。波しぶきがものすごいので6人の乗客は全員狭い船室で満員電車のようにどこかを掴んだりしながら立っていた。

約15分。ふさきや丸の到着を待つ人達の姿も見える鳩間港に着いた。着くや否やさっきのおとうさんは、鳩間の観光ポイント、鳩間灯台のある鳩間中森へ向け慌てて走り始めた…。別れ際に聞いたのだが、なんと今乗ってきた船でそのまま帰るらしい…。1日1往復なので、帰りの便に乗らなければ泊るしかないのだが、まぁ…それはそれは忙しいこと。こんな風にいつも島を巡っているのだろうか…。島のホントの良さは実際に泊まらないと分からないですよ。と、教えてあげたかった。

今宵の宿、ペンションマイトウゼのおかあさんが港に迎えに来てくれていて、そのまま部屋まで案内された。港から約5分。バンガロータイプで5畳ほどの広さの部屋に二つのベッドがありその内の一つに布団が用意されていた。トイレは外。風呂は無く、海の家よりも大胆な共同のシャワー室が離れに一つあった。

食事はそこから海辺へ5分程歩いたところにある瓦葺屋根の食堂で食べる。鳩間島にはちゃんとした食堂はない。宿泊する宿(全部で5箇所)で食事をするしかないのだ。瓦葺屋根の食堂からはくもってはいるが窓の向こうにきれいな海が見えた。こういう色を瑠璃色というのではないだろうか…。他の島の海とはどこか違う色の美しさであった。

昼ご飯は、普通の生姜焼き…。沖縄の民宿は、こんな風に一般家庭でよく出るメニューが普通に登場することが多い。食べ始めると、港をふさきや丸が離れていくのが見えた。さっきのおとうさんはちゃんと乗れたかしら…。

鳩間小・中学校食事の後、小さな集落内を目的もないままぶらぶら歩く。多くの家の庭には水を溜めておく貯水タンクが2つ程あるのが分かる。昭和55年に西表島から水道が引かれたようだが、今でも島の人にとって水は宝なのだ。集落の先には立派な建物と運動場が広がる鳩間小・中学校(生徒数14名)があった。学校の運動場から海までは塀なども無く、歩いて約30秒ほどでそのままダイブできる。素晴らしい…。

鳩間中森という大きなクバと椰子が生い茂る道の先。鳩間島で一番高い標高33.8mの地点にある鳩間灯台へ行ってみた。灯台の横に物見台がありそこから鳩間島が一望できた。天気が良かったらさいこーだったのになぁ…。陸地は全体的に深い緑に覆われ、その周りを海が囲んでいた。

鳩間島には、島をぐるりとほぼ一周できる一周道路があり、その道を歩くことにした。集落を抜けると見事に誰とも会わない…。恐らくこの日の観光客は僕一人だからだ。途中で見つけた屋良の浜というビーチで一人くつろいだ。砂浜に寝転ぶと、ちょうど顔の横をヤドカリがちょこまか動いているのが見えた。身体を起こし、よく見てみると意外と多くのヤドカリ達が砂浜をウロついている。ひょっとして踏んでしまったヤドカリもいたかも…。

また一周道路に戻りズンズン歩く。途中から道端に黒い糞のようなものが目立ち始めた。そして突然、白い生き物の集団と出会った。
うっ……。
お互いびっくりしたらしく緊張が走る。野生のヤギの集団だった。どうやら彼らの住む地域に入ったらしい…。しかし、島を一周してみたかったのでそのまま前進をするとヤギ達は一斉に森の中へ走り去っていった。ゴメン…。

一周道路には大きく立派なガジュマルの木がいくつかあり、それはそれは見ごたえがあった。そして、道沿いには立原浜、島仲浜、外若浜とプライベートビーチのような小さなビーチもあった。どれも、手つかずのビーチのため漂着物もすごかった…。これが自然のビーチの本来の姿。

周囲約3.9キロの鳩間島。小さい島と思っていたが、意外と大きく、一周するのに1時間程もかかった。やー歩いた歩いた。結構な運動になった。これは夜のビールがうまいぞー!集落に戻ると学校のチャイムが島全体に響き渡っていた。島民にとってはさぞかし嬉しい音なんだろうなぁ…。

ペンションに戻り、シャワーを浴びた後、島で唯一の店「浦崎商店」でビールを買い、そのまま港へ行った。港から続く海岸沿いの道をブラブラ歩きながらビールをゴクリと飲んだ。うまい…。島の大きさに似合わず、テトラポットや石やコンクリートの防波堤や桟橋が多く、それがいくつかの小さなビーチを作っていた。

夕方遅く、また海辺の瓦葺屋根の食堂に行った。さすがに窓の向こうは黒い闇。缶のオリンビールを飲みながら、晩ご飯と向きあった。宿のご主人自ら釣ってきたらしいシーラという深海魚のような顔をした魚のあんかけがえらく美味しかった。

「これ、美味しいですねー」
宿のおかあさんにそう伝えると、
「おとうさん、ホントはカツオを釣りに行ったんだけど…シーラがかかってしまったの」
と、笑いながら返ってきた。
うーん…。カツオと聞けばそりゃカツオが食べたかった。まあでもシーラのあんかけなど滅多に食べられるものではないだろうから貴重な食事となった。ご馳走様。

部屋に戻ってもテレビがあるわけでもなく、恐ろしく何もすることがない。オフシーズンなのでペンションにも誰もいない。かと言って夜の集落を目的もなく歩くのもヘン…。仕方なくそのままベッドに横になった。時計を見るとまだ8時。

寝ることを決めた布団の中で思った。
僕が子供の頃、この島に住むことになったらはたして住めただろうか…。
答えはYES。
喜んで住んだと思う。海と緑いっぱいの大自然は、子供の頃の僕には最高の環境。幼少の頃、親と離れ離れで暮らしていたのでそう言いきれる。

翌朝、ふさきや丸が着く港へ早めに行き、桟橋の周りに広がる海の中を覗くと珊瑚礁がすぐそばまで迫っており驚いた。すごい…。間もなくして、海の向こうにふさきや丸の姿が見えた。

(06年1月:旅々旅人)
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