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「ウニ食べに行きません?」
「はっ……?ウニって…あのウニですか…?」
「そうですよ!まさにそのウニです。ガハハ。実は沖縄でもウニが獲れるんですよ。今年の7月に古宇利島でウニが解禁になったんです」
「ほー。それは是非食べに行きたいですね〜」
「じゃあ明日行きましょうねー。ガハハ」と、沖縄市(コザ)のロックカフェでビール片手に現地の比嘉さん。
比嘉さんは、昔東京で一緒に仕事をしていた方で今は地元沖縄の沖縄市で暮らしている。聞くと古宇利島のウニは、今年(2006年)の7月1日に漁が解禁になったばかり。実は前年は不作で禁漁したらしく2年ぶりの待ちに待った時というわけだ。
それにしても沖縄でウニとは…、初耳であり驚いた。南国では九州の天草あたりでウニ漁が盛んなことは聞いたことがあったが…。
翌朝、沖縄市から比嘉さんのヴィッツで古宇利島のある今帰仁村へ向け329号線を北上。天気は申し分のない晴れ。フロントガラスの向こうで大きな入道雲がモクモクモクしている。沖縄らしい風景だ。途中の金武湾で青い海が見えた。比嘉さんが子供の頃によく遊んだ海岸らしい。誰もいない静かな砂浜に降りると、猛烈な暑さと一緒にギラギラする南国の夏を感じた。
さらに北上し、名護市に入るとなにやら道端に小さな看板。よく見ると「ヒートゥー」という文字。はて……?
「ヒートゥーって何ですか?」
「……イルカです」
「え”!イルカってあのイルカですか……?」
「はい‥そのイルカです…」
「まさか…」
「そのまさかのようですよ…。僕は未体験ですが…」
……。
沖縄でイルカを食べるのは、名護市と今帰仁村の一部らしいが、さすがに抵抗を感じてしまった。そんなことを言えば全ての動物が同じなのだがなんだかひどく気になった…。名護市の58号線沿いには「ようこそイルカの街へ」と書かれた看板が堂々と設置されている。
今帰仁村に入ると、素朴な風景が広がる。一年前に訪れた八重山の小浜島を思い出す。緑の畑越しに見える瓦屋根の家がいい感じ。沖縄市に住んでいる比嘉さんでさえ住みたくなるほどこの風景に特別な思いを抱くのだそうな。
古宇利島へ渡るには、まず本島(名護市)から奥武島に架かる小さな奥武橋を渡り奥武島に入る。次に屋我地大橋を渡り屋我地島を付きぬけ、全長1960mの超ロングな古宇利大橋を渡るコースなのだが、比嘉さんの車のナビは古いらしく平成17年2月に完成した古宇利大橋がナビの画面に現れず、軽く迷ってしまったがそれはそれで新しい風景に出くわすことになり楽しめた。
古宇利大橋は、まさに海を突き抜けるように左右に美しい海がズバーンと広がっていて最高のドライブコース。途中、釣りをするおばあちゃんとおかあさんと小学生くらいの男の子の姿。真夏のこの暑さの中、それはそれは大変な光景に映った…。橋の途中から海の色が青からエメラルドグリーンに変わった。うひょー!
周囲約8キロほどの小さな古宇利島に着くと平日にもかかわらず橋の周辺の海でたくさんの人達がキャッキャッと楽しんでいた。さてさてウニはどこだ!海沿いを5分ほど走ったところに「ウニ丼」と書かれた看板を発見。すでに何人かの客が海が見える茅葺屋根のオープンテラスでビールとそれらしきものをやっている。
食堂かと思い入ったのは、民宿しらさ。目の前には、青く静かな海が広がる。席に座るやいなや当たり前のようにウニ丼を注文。出てきたのは、よく食べる鮮やかな黄色のそれではなく少し茶色が強い。おや…と思ったが、食べると中々深い甘味でトロリと旨い。
見た目からは想像できないほどしっかり濃厚な味わい。シラヒゲウニと呼ばれる熱帯性のウニと聞いた。暑い沖縄ではイメージのしっくりこないウニ丼であったが、食べだすと違和感なく、むしろ沖縄らしく暑い中ガツガツ食った。激しくオリオンビールをやりたかったが比嘉さんが運転をしてくれているのでさすがに遠慮した…。
橋の周辺に大きく広がるビーチに降りる。本島にしてはかなり透明度が高い。もちろん飛び込んで泳ごうと思ったが水着をホテルどころか東京に忘れてきたのであった…。バカか俺は…。泳ぐことをあきらめ、しょぼしょぼと車に戻った。
「比嘉さん…。今帰仁城跡に寄ってもらえます?」
車に乗り込んで間もなく比嘉さんにお願いすると、
「ガハハ。今まさにそこに向かってます」
と、嬉しすぎる返事。以前沖縄へ来たときに首里城跡、中城城跡、勝連城跡は行ったが今帰仁城跡は時間がなくて行けなかった。北の巨城と称される世界遺産の今帰仁城跡はいつかチャンスがあれば行きたい城跡であったのだ。
いざ行ってみると、噂通り長大な城壁で城の全体が把握しきれない程の規模で驚いた。城壁の全長は、なんと約1.5km。北山、中山、南山と三つに分かれた三山時代に本島の北部地域を支配したのが北山であり、この今帰仁城を拠点としたようだ。ここから見える景色も実に素晴らしかった。
城自体は、本土の名古屋城や大阪城のように何層にも重なった形をしたものではなく、首里城のような平屋の造りだったらしい。発掘調査でそれらしきものが発掘されなかったことからそう推測したことを役場の方から聞いたことがある。そして首里城のような中国文化を受け継いだ色鮮やかなものではなくもっとシンプルな外観で屋根も藁葺き屋根だったのではないかと…。
もっとじっくり見たかったが、あまりにも暑いためそこそこの時間で切り上げ車に乗りこんだ。あつい…。沖縄の真夏の暑さは半端じゃない。車の中の冷房はHI(ハイ)だが、汗が乾くまでかなり時間がかかった。お互いガハハと、もう笑うしかなかった。そこからズンズン南下する。しばらくしてフロントガラスに映ったのは、なんとあのオリオンビールの名護工場。と言ってもオリオンビールの工場はここだけらしいが。
その工場の前にひっそりとたたずむ「知名商店」という酒屋のような店の近くで比嘉さんがおもむろに車をとめた。
「ちょっと行ってきますね〜」
と、その店へ入っていった。なんだなんだ。間もなくして知名商店から出てきた比嘉さんの片手には、黄金に輝く透明のカップが…。
ま、まさか…。
「はい!できたてのオリオンビールですよ!」
「おぉぉぉ!すばらしい!」
「あそこは工場直送の生ビールを売ってる店なんですよ!」
と、ニコニコしながら比嘉さん。手にすると、いい感じの冷えがドクドク伝わってきた。運転のため飲めない比嘉さんを横目に、失礼ながらグビグビグビ…。ウマイ…。麦がたっぷりな感じと明らかに新鮮な感じが強烈に伝わり、気絶しそうなくらい旨かった。
動き出した車の窓から改めて知名商店の建物を見ると、そこには工場直送ビールとデカデカと書かれていた。目の前にドカンとオリオンビールの工場があると、ホントにできたてを飲んでるようで最高だった。
この日はおもいっきり晴れているのだが、晴れたまま時々入道雲が雨をパラパラ落す。しばらくすると、きれいな虹がフロントガラスに映った。
(06年7月:旅々旅人) |
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