旅々たびたび
もくじ旅行記旅風景今、これが旬名物を食すお問合わせホーム
<<前のページに戻る
松山市・松山城
松山城を中心にぐるりと広がる美しき街。  
松山城からの風景
にぎたつの路にある水口酒造 道後の湯
松山自動車道
 1:松山城からの風景
 2:水口酒造
 3:道後の湯
 4:松山自動車道
>>詳細地図(MapFanリンク)
[アクセス]
松山市内・道後グランドホテル→(レンタカー:約5分)→松山城ロープウェイ乗り場→(ロープウェイ:約3分)→松山城のある勝山八合目→(徒歩:10分弱)→松山城内
松山市内→松山道(松山IC→川之江Jct)→高知道(南国IC降りる)→高知龍馬空港 ※レンタカー:約3時間30分
[関連サイト]
■松山城
松山市が紹介する松山城のHP
■松山城ロープウェイ
松山市が紹介するHP
■地ビール「道後」
製造元 水口酒造HP
■道後グランドホテルHP
松山市道後湯之町16-21
TEL:089-943-0075
■土佐料理 司(空港店)
高知県南国市久枝乙58
TEL:088-863-5063
[旅行手配内容]
ANA超割(ANAサイト)、宿泊(じゃらん):約130,000円(2泊3日)
※レンタカー代、前日の高知含む全費用(家族三人)
愛媛方面の名物

[スポンサードリンク (詳細)
「コッコーコッコー!」
露天風呂道後温泉
から歩いて約5分程の街中のホテルに泊まっていたのだが、なぜかニワトリの鳴き声で目を覚ました。時計を見ると朝の6時。そのままホテル内の温泉へ直行。朝の澄み切った空気と匂いを感じながらやわらかな道後の湯に浸かった。あぁ…きもちいい…。起きて5分と経たぬうちに温泉に浸かれるシステムに改めてシアワセを感じるのであった。

家族はまだ寝ていたが服に着替え、朝の道後を散歩に出かけた。さすがに9月も後半。ちょっと肌寒い。ホテルの近くにある石畳の「にぎたつの路」を歩いていると、なにやら雰囲気のある建物を発見。水口酒造とあり、前日一瞬にして虜になった地ビール「道後」を製造している酒屋さんであることを思い出した。おお!ここだったか…。こんな風に偶然出会うとは、やはり、ここのお酒とは縁があるようだ。

にぎたつの路水路が平行しており、水の流れる音がなんとも心地いい。どこからかニワトリの鳴き声が聞こえてきた。
「コッコーコッコー!」
多分、朝聞こえたのはこのニワトリの声だろう…。ちょっと宿に残した家族が心配になり、散歩もほどほどにしてホテルへ戻り始めると、眩しい朝陽が道後の町をオレンジ色に染めていた。

ホテルに戻ると、家族は既に起きていた。そして、家族で朝食。太刀魚やじゃこ天をあぶって食べた。

ホテルをチェックアウトし、高知龍馬空港で借りたレンタカーの青いFitで走り出す。向かったのは、山頂に松山城が建つ、標高約131メートルの勝山の八合目あたりまで上がれるロープウェイ乗り場。わずか5分程だ。松山は地元だが、松山城をロープウェイで上がるのは始めて。子供の頃はヒーヒー言いながら歩いて登ったっけ。いや走ってたなぁ。いつも誰かと競争していた。懐かしい。乗り場に着くとロープウェイと一緒にリフトもあった。帰りはあれにしよう。動き出したロープウェイは、わずか3分ほどで八合目の長者ヶ原に着いた。

本丸までは10分弱だが、大手門跡を過ぎ、戸無門を抜けた右手付近から松山の朝の街並みを一望できた。美しい風景であった。松山市は人口50万人を超える四国最大の街。筒井門の先からは、逆光になるが手前に道後の街並み、その向こうには、石鎚山脈まで見えた。自分が育った街がこれほどまでに美しいことをこの日初めて気づいた。さらに少し歩くと、堂々たる本丸の姿があった。

退屈で魅力のない街に嫌気がさして東京へ出て行った自分だったが、ちゃんとこの街の魅力に気づいていないだけだった。日本全国を旅すればするほど松山の素晴らしさをしみじみと感じる。今は誇りに思います。できればまた戻って住みたいとさえ思う。まあ、関東の女性と結婚しているのでそれは無理だが…。(笑)

松山城は、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と柴田勝家の戦い「賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦」で七本槍の一人として知られる加藤嘉明(かとうよしあきら)が約25年(1602年〜1627年)の歳月をかけて築いた城。加藤嘉明は、関ヶ原の戦いの功により、松山20万石に加封された武将。1627年に会津へ移封したこともあり、地元の人でも彼の名前を正確に答えられる人は少ないかしら…。元々は三河の人である。山頂に本丸、中腹に二之丸、ふもとに三之丸がある連立式平山城の一つ。後に、蒲生家、松平家と変わり明治維新を迎えた。

2歳の息子と手をつなぎながら歩く先に、大学生くらいの息子さんとおとうさんの姿があった。二人で旅行に来ているらしく、その仲の良さ気な姿がなんとも印象に残った。娘とおかあさん二人という絵はよく見るが、こんな風に逆の絵は滅多に見ることはない。我が親子もできればいつまでも一緒に旅行できる仲でありたいものだ。

松山城子供の頃、何度も来た松山城だったが、それから20年近く経ち、大人になって訪れてみて、初めてその素晴らしさが分かった。天守閣が現存する12城の内の1つ。他には姫路城、備中松山城、松江城、宇和島城、高知城、丸亀城、彦根城、弘前城、丸岡城、松本城、犬山城がある。昭和20年の空襲で、松山は焼け野が原になったが、街のど真ん中にある松山城は意図的に戦災を免れた。

ちなみに松山藩は、戊辰戦争で会津若松藩、越後長岡藩と同じく幕府軍についたのだが、新政府軍の土佐藩(高知)が攻めてきた時、一切抵抗をしなかったと聞いた。つまり無血開城を選んだ。負け戦はしない。無駄な血は流さない。なんと勇気のいる賢明な決断であったろうかと、この過去の事実を知った時は鳥肌が立つほど感動した。

リフト行きがロープウェイだったので、帰りはひとりリフトで降りた。風を感じながら見える風景がまたいい感じだった。隣に妻と息子を乗せたロープウェイがスーとやってきた。手をふりながら通り過ぎていったのだが、あっという間に小さくなった。はやい…。

再び、車に乗り込み向かったのは、高知龍馬空港。今回の高知・愛媛の旅は飛行機のチケットを僕が間違ってとってしまい、高知へ着いて高知から帰ることに…。当然、極端に移動の時間が多くなってしまったのだが、こうゆうことでもない限り、車を運転し四国を横断することもなかったろうと、自分と家族を無理矢理なぐさめるのであった。

松山道高知から愛媛は国道33号線だったので、帰りは高速の松山道を通って帰ることにした。この松山道が絶好のドライブコースで香川との県境の川之江ジャンクションあたりまで素晴らしい景色が窓いっぱいに広がった。

「北海道より大自然ね〜」
北海道に5回行ったことのある妻の驚く声が聞こえてきた。川之江ジャンクションからそのまま高知自動車道へ入ったのだが、こちらは、まあトンネルが多く、しんどいドライブとなったが、途中、山がズンズン迫ってくる迫力ある景色もあり、関東で育った妻は随分と驚き感動していた。息子はずっと寝ていた…。

松山市内を出て約3時間半程で高知空港そばのガソリンスタンドに着いた。ガソリンを満タンにし、目の前のレンタカー屋さんに無事に返却した。いつもながらホッとする瞬間である。空港内の土佐料理専門店の「司」に入り、ビールをやりながら、旅の締めに、またカツオのたたきを食べたのだが、しびれるくらいに旨かった。これから飛行機に乗るため、ニンニクを一緒につけて食べられないのが、なんとも残念でありました。

(06年9月:旅々旅人)
 
▲UP

<<ホームに戻る <<前のページに戻る
Copyright(c)tabitabi.All rights reserved.