|
|
|
|
稲を刈り取った後の稲株に、ゴルフボールをのっけてバットでバッコーン!とかっ飛ばす。雨の後、水でいっぱいになった田んぼで泥遊びや鬼ごっこ。愛媛は松山のとある田舎町で育った僕にとって、田んぼは絶好の遊び場だった。春夏秋冬。四季を通じて何かしらの遊びを考えては日が暮れるまでひたすら遊び、お百姓さんに見つかるとその都度こっぴどく叱られたっけ…。(笑)
そういう少年期の体験もあってか、今でも田園風景を眺めるとなんだかとても落ち着くし、人一倍好きな風景であることを実感する。その田園風景の中でも棚田と呼ばれ田んぼが段々畑のように何段にも重なった風景が日本各地にある。平野の松山では見られなかった風景と越後そばや山菜を楽しむために、かつての越後、新潟は十日町へドライブへ行くことにした。
妻にそれを伝えると、なんと大胆にも一緒に行くというので三歳の息子も連れ早朝5時に東京の北区の我が家を出発した。朝の5時に出たおかげで関越自動車道も随分と空いており、3時間程で新潟の湯沢ICを抜けた。恐ろしく長い全長約11キロ(日本最長)の関越トンネルを抜けると、手品のように突然春から冬に後戻りしており驚いた。天気も晴れからどんよりした曇り空に変わっており、どこかもの寂しい北国に迷い込んでしまった思いが起きた。
湯沢ICから近い越後湯沢駅でトイレ休憩。朝の8時過ぎだというのに、人がほとんどいない。
「千と千尋みたい」と妻の声。
「そうだねー。越後湯沢ってこんな寂しいとこだったっけ…」
乗換えで数回降りたことはあったけど、駅も駅前も映画「千と千尋の神隠し」で千尋の両親が迷い込んだあの見知らぬ街のようなもの寂しさが漂っていた。人や車の通りもあることはあるが…。おかげで旅気分が盛り上がる。(笑)
越後湯沢駅を後にし、クネクネと山道を走っていると頭をすっぽり手ぬぐいのようなもので覆った、たくましいお年寄りを何人も見かけた。60歳から80歳くらいだろうが、まだまだみんな現役。こういう姿を見ていると定年退職なんておかしなものだとふと思った。一生現役でいたいものである。働いてこその人生。
いつの間にか車窓から、棚田が当たり前に見られるようになってきた。十日町市の松代という所。棚田の無数に連続する曲線が美しい。なぜか琉球の今帰仁城(なきじんじょう)を思い出した。あのグスク(城)も棚田のように計算された曲線がつながり、グネグネと飛び出しては引っ込み、ダイナミックで美しいのだ。
ナビに峠と表示されていた辺りで車を止めた。しばらく車に閉じ込められていた息子は大ハシャギ。そのまま眼下の棚田の一つにダイブしそうな勢いで慌ててつかまえた。(笑)足元にはヒョロリと背の伸びた土筆の姿。昔よく採って帰ってはおかずの一品に加えてもらったものだ。懐かしい。辺り一帯が素朴で和む風景。しかし三歳の息子が遊ぶには少々危険なので、程ほどにして車に戻った。
「またクルクルしたい」
と息子が言う。どうやら息子は山道のクネクネ道を車で走るのが気にいったらしい。珍しいヤツもあったもんだ。またクネクネ走りながら向かったのは、絶景を見ながら露天風呂を楽しめる「まつだい芝峠温泉・雲海」。30分程で到着。
山の上に建つ温泉施設にしては随分と近代的。日帰り入浴は500円と近所の銭湯並。息子を妻に預けて一人、湯場へ。脱衣所で農作業の帰りというおとうさんと一緒になったが、そのおとうさんの他は誰もいない。おとうさんは内風呂へ。僕は当然真っ先に露天風呂へ直行。
湯に浸かる前に、眼下に広がる大パノラマの絶景に感動した。いやーこれはすごい。手前に棚田、その奥には薄い青色のシルエットが連続する山々。八海山や苗場山などがその風景に含まれているらしい。朝は雲海も見られるようだ。天気もいつの間にか晴れに変わっており、一人優雅に露天風呂を満喫。さいこー!お湯は緑茶のような色合いでやや熱め。飲めないと書かれていたが手ですくって舐めてみるとかなりしょっぱかった。
内風呂は清潔感はあるが近代的な上、無色透明であまり温泉らしくなかったかな…。風呂上りにカウンターでその違いを聞くと、最初は透明だけど日光が当たることで緑色に変色していくらしかった。乳白色の白骨温泉や別府にあるコバルトブルーの温泉などでも同じように言っていたのを思いだした。不思議なものだ。
妻と息子は温泉には入らず館内でアイスを食べていた。妻は何故かあまり温泉が好きではない、これまためずらしいタイプ。さてと昼飯。越後といえばへぎそば。そしてこの山間の地域で期待するのはやはり山菜。これだけは東京では絶対味わえないもの。風土も大事だからだ。その山菜を天ぷらでサクリと頂きたい。 向かったのは、同じく十日町内にある由屋(よしや)という蕎麦屋。
途中窓の外に映った川が日本一長い信濃川と分かり感動した。小学生の頃、この川は僕の中で圧倒的な存在感だった。琵琶湖、富士山さながら日本一という言葉の重みが当時はものすごかった。あれから30年近く経つのに、まだ似たような感情が残っていたとは…。
畳の小上がりでくつろぎ、まずはビールといきたいとこだが死ぬほどこらえて、へぎそばの小(2人前、1,580円)と天ぷら(740円)を頼んだ。まずは天ぷら。これを蕎麦つゆにつけて食べるらしい。蕎麦つゆといってもよくある濃いものではなく、まろやかな口当たり。そこに少しだけ天ぷらをつけて食べる。うまい…。サクサクカリカリ。
さすがに山が近い町の山菜の天ぷら。顔ぶれはカボチャ、明日葉、ふきのとう、海老、きのこ、茄子。特に好きだったのがふきのとう。春の苦味を感じた。明日葉もよかったなぁ。息子は一人で二つの海老の天ぷらを平らげた。よって海老の味は分からず…。
初体験のへぎ蕎麦は、随分と大きな木箱で刺し盛りのような存在感で豪華に登場した。この木の箱が「へぎ」。そのへぎに盛られた蕎麦をへぎ蕎麦と呼ぶらしい。へぎの上で一口分ずつたぐり分けられたような蕎麦がきれいに列を作って並び、その上に海苔がまぶされている。そして一目で量が多過ぎることに気づかされる。これが一番量が少ないのだから驚く。申し訳ないけど出てきた時点で完食はあきらめた。
さてそのへぎ蕎麦。わさびの替わりにある辛子を少しつけ特性のつゆに軽く浸して食べる。みずみずしくプニュプニュしてものすごい弾力。コシがあるともいうのだろう。独特の旨みと歯ごたえ。さらに麺は太めで随分と食べ応えがあった。一つの手振りも一口でいくには無理があり、二回に分けて食べてちょうどいい按配。普通の盛り蕎麦だと三枚分程食べたあたりでギブアップ…。焼き肉さながら極端に食べ過ぎると美味しさが大きく変化するから。こんなに多いなら注文の時に減らしてもらえばよかった。
12時頃になると店内は満席になっていたので結構な人気店なのだろう。蕎麦を残したことを詫び、店を出た。天気は相変わらずいい。帰り道にある越後湯沢駅に再び寄った。さすがに朝よりは人も増えており、わずかながら活気が出ていた。ここで最も目に付いたのが新潟の名物らしい「笹団子」。多くの店で判を押したように全く同じような姿で売られていた。正直、あまり美味しそうではなかったけど(笑)一個130円と安いので試しに買った。
餡子の入った団子を笹の葉で包み蒸したもので、なかなか美味しかった。だんごがあたたかくて柔らかく、中の餡子も程よい量と甘さで合う。笹の香りもいい。静かな越後湯沢駅構内のテーブル席に座り、暖かいお茶を飲みながら旅気分に浸った。
ふと見つけた構内のポスターが明らかに浮いていた。「越後湯沢駅」というタイトルの歌を出したらしい香田晋さんの笑顔。静かな駅と彼の底抜けに明るいイメージとのギャップが妙に面白かった。
(08年4月:旅々旅人) |
|
|
|