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静岡へ、ひとり旅に出かけた。何も予定をしていない行き当たりばったりの旅。ただ、行先だけを静岡と決めていた。なぜ静岡なのか?うーん…なぜだろう…。確かな理由はないが、とにかく静岡方面に行きたかった。ただ、それだけ。(笑)
滅多にこういう旅はしないが衝動的に玄関を後にしたのであった。大丈夫か、俺…?東京駅を7時23分に出た「こだま」の自由席は、ガラガラ…。慌てて家を出たため朝ごはんも食べていない。とりあえず車内販売で買ったアツアツのコーヒーを飲む。朝一番のコーヒーはインスタントでもうまい。風呂上りのビールに匹敵する。コーヒーを飲みながら一息ついていると、新横浜で乗ってきた人達でたちまち満席となった。
窓の外はあいにくの曇り空。さてと最初はどこで降りようか…。沼津にしようか、浜松にしようか…。ガイドブックの静岡の地図をぼんやり眺めていると、昔地理で習った遠洋漁業地「焼津」の文字が目に入った。焼津か…、いいねー。降りてみよう。焼津でちょっと遅めの朝ごはんを食べるとするか。魚もおいしそうだし。
焼津駅を出ると、ふわ〜っと潮の香りが漂ってきた。う〜ん、さすが海に面した街だ。時計を見ると朝の9時30分頃だが人影も少なく静か。駅前には、温泉街のように足湯があった。黒潮温泉という天然の温泉らしい。駅前のみやげ屋のおかあさんに魚市場の場所を教えてもらい、ぶらぶら歩く。通りには焼津駅前通り商店街と書かれている。こちらも駅前同様に人通りが恐ろしく少ない…。
しばらく歩くと古い市場と新しい市場を示す看板が出てきた。なんとなく古い市場も見たくなり、まずはそっち方面へ向かうと小型船が何隻もプカプカ浮かぶ港の舟溜まりに出た。漁の後のゆんたくだろうか、4〜5人の漁師さんの後姿。海を見ながらなにやら楽しげに話しこんでいる。
よく見るとほとんどの小型船に、大きく長い釣竿が一本、まるで船のパーツの一部のようにくっついている。後でタクシーの運転手さんに聞いたのだが、近海のキハダマグロやカツオの一本釣りに使うものらしい。焼津は、カツオやマグロ漁が盛んで加工品の特産が多いらしく、それほど魚自体を食べることはないようだった。言われてみれば窓から見える風景の中に魚屋らしき姿はほとんど見えない…。東京の方が圧倒的に多い。
「最近は魚が獲れなくなってねー」
と、つぶやくように言ったのが、印象的だった。
そして港の奥に大きな魚市場らしい姿が見えた。遠目にもかなり古い感じが分かる。そして、その古い市場には人っ子一人いなかった…。かつて賑わっただろう市場のオープンスペースには何一つ物体がなく怖いくらいの静寂に包まれていた。やーこれは随分と寂しい所に来たもんだ。しかし、少し先に見える場所には大型の船が停泊していたのでそこはまだ使われているようだった。
仕方なく新しい市場へ行くと、これまた人の姿がほとんどない…。あれれっ…。市場には、魚を流すコンベアがゴロゴロ転がっていてまるで何かの工場のようだった。すでに荷揚げが終わった後なのだろう。ちょっと遅かったか…。しかしその先に小川漁協魚市場という沖合漁業の市場があるらしいので、オーシャンロードと名付けられてはいるが津波の防御用の高いコンクリートの壁で海が全く見えない道をひたすら歩いた。いつの間にか曇り空も抜けており、ギラギラと太陽が照り付けていた…。暑い…。
焼津駅から2キロほど歩いただろうか、やっとの思いで小川漁協魚市場に着くと、なにやら水揚げが行われていた。
おぉぉぉ!これぞ魚市場の風景だ。
近づいてみると鰯(いわし)の水揚げ。10人くらいの男達が鰯のドッサリ乗ったコンベアを囲み、こまこま作業をしていた。
さてと朝ごはん。市場内にある、「あじ処 小川漁魚河岸食堂」という食堂に入った。既に10時30分。当然お腹はペコペコ…。暑い中、たっぷり歩いたので喉もカラカラ…。食堂の壁には大きな大漁旗。さすが魚市場で働く人のための食堂だ。
迷わず海鮮丼を注文。出てきたドンブリには、静岡の海の幸、旬のシラスと桜エビをはじめ10種類ほどのネタが円を描くようにきれいに敷き詰められていた。朝だけどビールをやりたくなった。ところが、恐ろしいことに食堂にはビールや酒の姿はなかった…。ガク…。
しかしピチピチの魚をたっぷり頂き魚好きにはたまらない朝食になった。ビールは昼飯の時に楽しむとしよう。
焼津駅を出て向かったのは、静岡駅。静岡市は、一度はどんなところか見ておきたかった。15年以上も前に上京してから、この街の出身者と会うことが一番多かった影響もあるかもしれない。上京したての頃、一緒に部屋を借りて住んでいたルームメイトもこの街の出身だった。
手元のガイドブックによると、徳川家康が晩年を過ごした駿府城(すんぷじょう)と静岡おでんが名物らしい。静岡駅前はあまりにも都会で東京と差ほど変わらないため「旅」という感覚が突然、どこかへいってしまった。明治維新を迎えた頃、徳川家は一大名の地位に落ち、ここ静岡(当時の駿府)に移された。とはいえ、七十万石。その歴史的背景を感じる繁栄ぶり。
真夏のような暑さの中、駿府城まで歩いた。徳川家康が1585年に元々は今川家の今川館があった場所に築城し、息子の秀忠に将軍職を譲った後、大御所として戻り、75歳で亡くなるまでの約10年間、隠居生活を送った城跡。家康は、今川家の人質として8歳から19歳までの約11年間をこの地で過ごしているから、第二の故郷のような気持ちもあったのだろうか…。
残念ながら壮大であったと言われる天守閣は残っていない。(1868年の駿河藩廃止と共に取り壊された)公園の中央にある鷹を手にした家康の銅像は、迫力に満ちていてかなり芸術性が高く驚いた。
その駿府城の先に、地元でも人気と聞いたおでん屋「大やきいも」があった。創業100年近い老舗でレトロな店内に心が和む。
人気店らしく店内には、大勢のお客さん。普通なら早速、おでんといきたいところだが…、梅雨にも関わらず偶然訪れた真夏のような陽気の中を朝から長時間歩いた為、ゴクゴクとまずはビールで喉を潤したかった。
そこでビールを探すが、朝の食堂同様においていなかった…。
まさか……。
ここまでくれば事件だ。一体これはどうしたことか…。
正直、もう…おでんを食う気力などなくしてしまった。(笑)
まあ、しかし、せっかくここまで来たので、なんとか、まずはコーラで無理矢理自分をごまかした。ごまかせるわけがないが…。
壁の張り紙には、黒はんぺんが静岡の名物と書かれていたので最初にそれを食べた。イワシやアジを砕いてすり身にし、黒いダシ汁に漬け込んだもので、はんぺんというよりは愛媛のじゃこ天の方が近い感じだった。卵や牛スジなど何品か食べた。店内の中央の畳の小上がりでは家族がラムネを飲みながら焼き芋を食べていた。
外に出ると暑さはさらに増していた。交差点で信号が青に変わるのを待っていると、
「全くこうも暑いと、うなぎでも食べないとやってらんないね〜」
と、自転車にまたがった通りすがりのおばあちゃんが話しかけてきたので笑顔で返した。
「まあ、うなぎが食べられるうちはまだいいけどね〜」
などと言いながら自転車で走り去っていった。
うなぎより、まずはビールですよ…。そう言いたかった。(笑)
滝のように汗をかいたので、温泉でサッパリしたくなり熱海へ行くことにした。ガタンゴトン。オレンジ色と緑の見慣れた東海道本線に揺られながら熱海へ向かう。車窓には、森や田園の素朴な風景が映る。清水駅を出ると駿河湾の青い海が右手に広がった。そして、長いトンネルを抜けると熱海駅が待っていた。懐かしい…。上京したての頃、何度か遊びに来た街である。静岡市内と違い温泉街の香りがプンプンする。再び旅モードに突入。
こうなったら、ビールは温泉の後だ。温泉の前にビールなんてありえない。日帰り入浴ができる温泉施設を探し、ブラブラ温泉街を散策。駅近くの商店街を歩くと「日帰り入浴・岩盤浴始めました!」という嬉しい文字が飛び込んできた。岩盤浴か…、どれ、一度体験してみよう。入ったのはホテル湯治館 そよ風。熱い玉石の上に寝転ぶとドッと汗が流れ出した。岩盤浴はサウナのように岩盤浴10分、その後5分程涼む。これを3回繰り返すためトータルでシンジラレナイくらいの汗が出る。日中かいた汗と含めると今日一日で3リットル近く汗をかいたのでは‥。
湯上りのポカポカ状態で熱海の街を歩くと、それはそれは最高の気分だった。熱海がいっそう風情があり楽しい場所に感じた。夕暮れ時の風がまた気持ちがいい…。このまま泊っちゃおうかなぁとまで思った。新幹線の時間まではまだ少し時間がある。駅前の土産屋でよく冷えた缶ビールを買い、足湯の前にある大きな岩に腰掛け、朝からフラレ続けたビールを一気に流し込んだ。
うまい…………………。
死ぬほどうまい…。
これほどうまいビールがかつてあっただろうか。
心と身体が一気にほどけていくのでした。
(06年6月:旅々旅人) |
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