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牛久の大仏
奈良の大仏が手の平に。  
牛久の大仏
牛久の大仏
650円のハンチャンラーメン
 1:奈良の大仏(14.9m)は牛久の大仏(120m)の手の平サイズ。
 2:日本一の大仏
 3:実物大の足の親指の先端。それだけで車サイズ。
 4:ハンチャンラーメン(牛久の行列ができるラーメン屋)
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[アクセス]
JR上野駅→(常磐線:約57分)→JR牛久駅→(車:約20分)→牛久大仏→(バス:約30分)→JR牛久駅
[関連サイト]
■牛久大仏
■太昇亭(たいしょうてい)
茨城県牛久市岡見町2107-1
TEL 029-872-2713
[旅行手配内容]
特に無し:約4,500円(全費用)
茨城方面の名物
 
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「日本一大きい大仏は何でしょう?」

「奈良の大仏」

「ブッブー!残念。正解は茨城県の牛久市にある牛久大仏でした」

牛久に大きな大仏があることは以前から知ってました。しかし、いくら大きいといってもやはり日本一は奈良の大仏でしょう。ずっとそう信じていました。奈良の大仏の次が鎌倉の大仏。

中学の修学旅行で初めて奈良の大仏を見た時、その大きさに随分感動した記憶が未だに残っています。当時の無感動で反抗期の少年にすらその大きさと素晴らしさは伝わったくらいですから。

しかし、調べてみるとすごい事実が判明しました。牛久の大仏は120mもあり、日本一どころか世界一(ギネス公認)なのでした。
※2008年に造られたミャンマーの釈迦立像(129m)に抜かれてしまいましたが。

ひゃ、ひゃくにじゅーめーとる…。なんじゃそりゃ…。
ではですよ。奈良の大仏はどうなんだと調べてみますと、座っているというハンデはあるもののわずか14.9m。なんと牛久の大仏の手の平サイズなのでした。(鎌倉の大仏は約13m)

牛久大仏あの奈良の大仏が手の平に乗る大きさ。
牛久の大仏は手だけで恐ろしいことに18mもあります。
そんな馬鹿な…。ちなみに自由の女神よりも約3倍大きい。すごいぞ牛久!

いつかは見たいと思っていたその牛久大仏。願えば叶うもので、驚くことに牛久で仕事が発生しました。季節は1月下旬でどんよりした曇り空。まぁ、大仏を見るのは曇りでも十分。雨さえ降ってなきゃいい。牛久駅に近いとある会社さんで昼頃に仕事が終わりお客さんに、これから大仏を見に行くことを伝えると、「じゃあお連れしますよ」と嬉しいことを言ってくれました。

なんでも牛久の駅前からバスは出ているものの本数が少なく随分不便とのこと。お言葉に甘え乗せてもらうことに。時計の針は12時を少し回ったあたり。大仏のある公園内にも飲食店があることを事前調査で知っていましたが、せっかく地元の人と一緒なので地元の人のおすすめの店に行きたくて思い切ってお誘いしてみました。

「あのー、宜しければご飯一緒にいかがですか?」
「いいですねー。行きましょう行きましょう。何がいいですか?」
「どこかおすすめのお店ないですか?」
「それならラーメンはどうです?」
「いいですねー。ラーメン大好きです」
「きれいで広いラーメン屋と小さくてちょっと汚いですが旨いラーメン屋どっちがいいです?」

「アハハ。もちろん小さくて旨いラーメン屋がいいです」
「じゃ、そうしましょう。でも時々行列ができているのでその辺は覚悟してくださいね」
「OKです」

太登亭5分くらいで目的の店に着くと昔ながらの中華料理屋のような古めかしいラーメン屋が細い通りにポツンとありました。これは地元の人と一緒でないとまず入らないでしょう。名前は太昇亭(たいしょうてい)。この日は行列はできていませんでしたが店に入ると待っている人が二人いました。しかしすぐに食べ終わった人がいてほとんど待たずに座れました。カウンター席が約15席くらいと、畳の小上がりのテーブル席が二つあったかしら。

カウンター席に座り、連れて来てくれた地元の(あ)さんにならい約15年ぶりに「ハンチャンラーメン」なるものを頼みました。ハンチャンラーメン。この素晴らしい響き。学生時代はたまらなかったなぁ。今では=食べ過ぎのイメージですが…。(笑)

ラーメン普通サイズのラーメンにチャーハンが半分ついたあの幸せなセット。しかもそれがなんと650円と安い。最初に出てきたのはチャーハン。アツアツで旨い!そしてラーメン。スープは豚骨と魚介系の味が程よく馴染んでこれまた旨い!麺は中華そばのようにやや黄色く縮れた中太麺。チャーシューの上に濃い赤色をした味噌が乗っていたのでそれをレンゲの上でかき混ぜながらスープに溶かすと魚介系の味が途端に弱まり濃厚な味噌ラーメンとなりました。

しかし食べ終わった後に口の中にしばらく残っていたのはカツオの風味。このボリュームと味で650円は素晴らしい。ラーメンだけだと450円。近所にほしいです。

再び車に乗り牛久大仏へ向かいます。車が近づくにつれその大きさがいかに非常識なものであるか分かってきました。

でかい…。

駐車場で降ろして頂き仕事がある(あ)さんとお別れしました。帰りはバスにしよう。というかそれしかないのですが。すぐ側にあるバス停へ時刻を確認に行くと、おおよそ1時間に1本から2本というなんとも不便なものでした。受付で大仏の中にも入れる800円のチケットを買い公園内に足を踏み入れます。

牛久大仏大仏へ向かう200m程の直線の道があるのですが、その端から大仏の下を見るとまるで蟻のように数人の人間らしきものがいるのがかろうじて分かりました。足元へ近づくにつれ、さらにその大きさは増していきます。前を行くカップルの驚く声が聴こえてきました。


「すげーーー!!!これやばくなーい!?」
「やばいよ」

牛久大仏たしかにすごい。そして大仏の真下から見上げるともはやこの世のものとは思えない大きさに驚くしかありませんでした。でかすぎる…。しかし、一つの疑問が沸きました。一体なぜ120mもの大仏を作る必要があったのでしょう。調べてみると、この大仏は、京都の東本願寺(元々の本願寺から分離)から分離独立した浄土真宗東本願寺派が同寺の本尊阿弥陀如来像のスケールモデルとして作ったと言われているそうです。

なんとなんと実物と想定される大きさに基づいて作られたとのこと。大胆…。(笑)大仏の中は宗教色がかなり強く信者でない僕にはあまり居心地のいい環境ではなかったです。大仏の胸辺りまでエレベーターで上がり、そこから外も眺められますが、あまり観光気分に浸れない空気が全面的に漂っていました。そりゃそうですよね。本来は観光で来るところではないですから。

しかしですよ。鎌倉の大仏さながら、そもそも大仏の中に誰でも入れるというのはどうしたものでしょう。もっと神聖な場所にしておいた方が何かと都合がいいように思うのですが…。(笑)そんなことを思いながら、バス停に向かうのでありました。

相変わらずグレー一色の寒空の下、バス停のベンチでひとり震えながら読みかけの文庫本を開きました。ようやくやって来たバスに乗り込むと、バスは僕だけを乗せ牛久駅へと寂しく走り出しました。

*

茨城の牛久は古くは卯宿と記され中世には牛久城が本拠とされていました。江戸時代には家康亡き後の政変により、山口重政が牛久で大名に復帰し、明治維新まで山口家1万5千石の城下町としてまた水戸街道の宿場として栄えたようです。(郷土資料事典より)人口約78,000人。

(08年1月:旅々旅人)

 
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