旅々たびたび
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浅草・雷門
お江戸散歩。
両国国技館・初場所
両国橋 どぜう鍋
ちゃんこ鍋
 1:両国国技館
 2:江戸東京博物館(江戸時代の両国橋)
 3:どじょう鍋
 4:ちゃんこ鍋(両国国技館)
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[アクセス]
銀座線浅草駅→(徒歩:約1分)→雷門・仲見世・浅草寺・神谷バー→(徒歩:約5分)→駒形どぜう→(徒歩:約20分)→江戸東京博物館→(徒歩:約1分)→両国国技館
[関連サイト]
■浅草の歴史と観光
■駒形どぜう
■江戸東京博物館
■両国国技館
楽天トラベル株式会社
[旅行手配内容]
特に無し:約6,500円(全費用)
東京方面の名物

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両国橋江戸時代のショッピングタウンと言えば日本橋。では庶民の盛り場と言えばどこか?それはなんと浅草両国であったらしい。浅草で6年程働いたことのある僕はその事実を知った時随分意外な感じを受けたが、言われてみるとその面影を感じられなくもない。今では土産屋が並ぶ観光地のイメージが強いがかつては人気の繁華街であり歌舞伎も盛んであったらしい(今でも行われている)。あの吉原(遊郭)にも近い。

一方両国に至っては行く機会が圧倒的に少ないこともあり相撲と小さな木造住宅とコンクリートのビルが共存する下町のイメージしかない。しかしその相撲こそ江戸庶民に人気の娯楽で武蔵国(現東京・埼玉)と下総国(現千葉)の両国を結ぶ両国橋の橋詰が繁華街(両国広小路)と相撲観戦(回向院にて)、夏には花火や納涼の場所として屋形船を楽しむ人で賑わったのだ。江戸開府から約400年。江戸を感じたくなり浅草と両国を巡るひとり旅に出かけた。

雷門浅草寺の正門である雷門はいつ来ても人で溢れている。大きな赤い提灯の左右には守護神の雷神(左)と風神(右)。10年以上も前に浅草で働いていた頃、当時1年程付き合っていた年下の女性と時々待ち合わせをしたのがこの雷門だった。決まって雷神の下で待っていたっけ。ばっさりフラレちゃったけど…。(笑)

仲見世浅草寺への参道である仲見世通りをぶらつく。醤油の香ばしい香りがするのはせんべいを焼いているのだろう。その匂いの元の店を覗くと焼いてるのはなんと中東(アジア)の青年だった。似合わない…。(笑)仲見世通りの先にある宝蔵門を抜けると美し浅草寺浅草寺本堂の姿。左手に五重塔が聳える。残念ながら戦災で焼け共に昭和に再建されたものだ。

浅草寺は飛鳥時代(推古天皇)に江戸浦で漁をしていた二人の兄弟の網にかかった小さな仏像(聖観世音菩薩)を祠ったのが始まりという言い伝えがあるらしい…。

花やしき境内を抜け遊園地の花やしきなどもある裏街へブラブラ歩くと江戸というより昭和の香りがたっぷり残っておりいい感じ。浅草公園六区やアーケードのある商店街はよく歩いたが裏通りはほとんど歩いたことが無く新鮮且つ下町情緒溢れ旅気分が一気に盛り上がる。

昼間から当然のように酒を飲める店が多く驚く。冬だというのに扉も開け放たれ通りからそのまま店の椅子に腰掛け一杯やれるのだ。知っているところで新橋、赤羽、上野などにも同じように残るこのシステムはひょっとして江戸時代からくるものだろうか。軽くいこうかと思ったが今日は神谷バーという日本で最初につくられたと言われるバーで電気ブランをやることにした。

再び雷門の前を通り、そのすぐ近くにある神谷バーに入った。浅草1丁目1番1号。まるでその土地の始まりのような住所に建つ店だ。明治13年創業。外観はどこかハイカラ。名物は「電気ブラン」。そのユニークなネーミングで古くから人気だったと言われる飲み物の正体はブランデーベースのカクテル。

電気ブラン電気がめずらしい当時、目新しいものには電気○○○と名付けられることが流行ったらしい。わずか260円。逆三角形にゆるやかに曲線を描くグラスになみなみ注がれた琥珀色の液体。クイッと喉に流し込むとほんのり甘く深い味わいが口と喉にどっしり広がる。くぅーー。これは昼間に飲む酒じゃない。ベースのブランデーにジンやワイン、キュラソー、薬草などがブレンドされたものだ。昼だとこれ一杯ひっかけるので調度いい。

さてと昼ご飯。江戸らしい食べ物で浅草と言えばうなぎ、そば、どじょう、天ぷら、寿司。浅草は飲食店は随分と多く大いに迷うがここは少し雷門から離れて落ち着く店で食べようと神谷バーから歩いて5分から7分程の駒形にある「駒形どぜう」でどじょうを初めて食べることにした。駒形どぜうの創業は徳川11代将軍、家斉の時代で1801年。本物の江戸を感じられる貴重な店なのだ。

店の外観、内装にも江戸らしさを感じる。2,450円とかなり高かったがどぜうなべ、どぜう汁、ご飯などがセットになったなべ定食を注文。畳の席に座り小さな一人用の食台を前にまずはどぜう汁をすする。小さなどじょうが何匹か口の中にスルスル入ってきた。濃厚な味わいでうまい…

どぜう鍋そして最後にどぜう鍋が登場。見た目はかなり強烈。何匹ものどじょうが所狭しとギュウギュウに鉄なべに詰められ横たわっている…。そこへ葱を載せそれがしなってきたらお好みで七味か山椒をかけて食べる。どれどれ、まずは一匹。あつあつのご飯にのっけて食べる。うまい…。見た目のそれと違いまろやかな味わいで舌の上でとろけ、ごはんが進む進む。何匹かごそっとご飯に盛り箸でかき込むように食べた。

江戸通りどじょうがこんなに旨いとは…。うなぎさながらこういう泥臭い食べ物が大好きなのだ。ある種の感動に包まれながら雷門を背に江戸通りを蔵前の方へ向け歩く。江戸時代さながら歩いて両国まで行くことにした。まあわずか15分から20分の距離。美しいという言葉から遠く離れてしまった墨田川に架かる蔵前橋を渡るとそこはもう両国の町。両国国技館の前にまずはまるで江戸らしくない近代的な江戸東京博物館で江戸の文化を学ぶことにした。

駕籠(かご)入場料600円にしてはかなり楽しめる。参勤交代などにも使われた殿様が乗る駕籠(かご)の中へも入ることができたが狭くて暗くて驚いた。これなら歩いたほうがまだ疲れないのではないだろうか…。館内はかなり充実していたが1時間ほどで早めに切り上げた。何を隠そう隣にある両国国技館の初場所のチケットが取れるかひどく気になってしょうがなかったからだ。

両国国技館両国国技館のチケット売場に着いたのは午後1時過ぎ。大相撲は夕方から始まるものだと勝手に思い込んでいたが既に取り組みが行われているらしい。チケット売場に並び待ってる間にそれぞれの席の金額を眺めるが高くて驚いた。土俵下のタマリ席は一人14,300円もする。しかもこの日は4日目だったが既に千秋楽まで売り切れ。そして最も安い2,100円の自由席も既に売れ切れであったのでその次に安い3,600円のイス席Cを買った。

チケットを切る場所を通ろうとしてまた驚いた。チケットを切っていた大きな男はあの高見山(現東関親方)だった。親方というのはこういう仕事もするのか…。

初めて入る国技館。館内に入ると何やら行列ができていたので、それは何なのかと警備員に聞くとちゃんこ鍋を待つ列だと言う。相撲の聖地でちゃんこか。それはいい。そのまま列に並んだ。200円という破格の値段のちゃんこ。15分ほど待つとプレハブ小屋に案内されちゃんこを頂いた。200円にしてはかなりお得な量。

ちゃんこ鍋キャンプで使うような使い捨ての白い容器に入れられたそれは醤油ベースであっさりしていながらも野菜の旨みが出ておりなかなか。随分と具沢山で食べ応えがあった。

ふぅー食った食った。どじょう鍋の後だけに腹だけは力士なみになった。(笑)さてと席はどこだ。館内は1階と2階に分かれておりどうやら我が席は2階のようであった。そしてついにイス席Cの場所を確認すると2階席の最も奥…。そこから土俵を見下ろすと向かい合った力士があまりにも小さく見えた。ありゃー。これは話にならん。まだ1時半頃でガラ空きの館内。一階まで降り係りの人にちょっと聞いてみた。

「あのー。土俵の下まで行ってもいいもんでしょうか?」
「あぁいいよ。十両が始まるまでは空いてる席に座って見ても大丈夫だよ。酒でも飲みながらゆっくりして」
嬉しい言葉が返ってきた。
「ところで今やってるのは何ですか?」
「前相撲だね。朝の8時半からやってるよ」
「8時半?」
「そう。相撲初めて?」
「いえ。地方巡業は見たことあります。今の理事長の北の潮が横綱だったころですけどね」
この時間は暇らしく、しばらくおしゃべりをした。

大相撲ありがたい情報を頂戴し、最前列辺りの所謂タマリ席に腰を降ろした。土俵は目の前。時計を見ると2時辺り。この時間帯は十両、幕下のさらに下の三段目、序二段辺りの取り組みが行われていたが、いやはや迫力があって想像以上におもしろい。(序ノ口→序二段→三段目→幕下→十両→前頭→小結→関脇→大関→横綱)

そしてそして力士達がうつくしくて驚いた。鍛え上げられた肉体と、戦闘用の化粧とでも言うのか、明るく照らし出された土俵の上でうっすらと白さが浮き出た肌がぶつかり合う光景はまるで動く浮世絵を見ているかのようであった。

十両が始まる前に1階席の後ろに戻りそこから観戦した。立ったままだがそれでも二階の最奥よりはマシ。しかし2時間程見てすっかり満足してしまい、もう幕内の取り組みを見なくてもいい気にさえなってしまい早々と国技館を後にした。実に面白かった。江戸庶民が相撲に熱中したのも無理は無い。

相撲を見るなら土俵下のタマリ席。14,300円するがその価値は十分ある。そこで見るのとそこ以外で見るのとでは恐ろしく体感するものが違ってくる。そして浅草と両国。今でもちゃんと江戸の文化が息づく街であることをしみじみと感じた。

(08年1月:旅々旅人)
 

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