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愛媛と高知の県境辺りに位置する高知の仁淀川町。自分が生まれた故郷に、初めて息子(二歳)と家族を連れ訪れた。仁淀川(によどがわ)という美しい川が流れる人口約7千人ほどの山間の小さな町。
四万十川よりもきれいでは…。そう思うほど、透き通るように美しい仁淀川沿いで遊び、小さな定食屋で日替わり定食を食べた。レンタカーで国道494号線を松山まで走り抜ける予定だったが、真下が崖にも関わらずガードレールもなく、車1台がやっと通れるような危険な道が時々あり、このまま走り続けることは、かなりのハイリスクローリターンになると思い、国道33号線まで戻った。
仁淀川町の集落で会ったおばあちゃんも
「あっちは道が悪いけんねー」
と、言ってたが…まさかここまでとは思わなかった。一応国道なんだけどなぁ。そのせいか国道33号線があまりにも素晴らしく感動的であった。しかし…、片側一車線の道をビュンビュン飛ばす地元ナンバーの車がまぁ多いこと。仁淀川町を出て約2時間弱で松山市内へ着いたのだが、15台程も譲った。東京ではまずありえない。こちらもそこそこ制限速度をオーバーしていたのだが…。(笑)
松山は2歳から18歳まで住んでいた町だけど、知ってるようで意外と知らない。地元というものは案外そうゆうもので離れてみて初めて良さが分かることが多いように思う。今回は旅人として訪れた。道後温泉にも近い道後グランドホテルの駐車場へ車を入れると、小説「坊っちゃん」のマドンナをイメージしたと思える着物姿のおねえさんがなぜか迎えに来てくれた。駐車場が見える位置にフロントがあるため客ということが分かったらしい。駐車場に車をとめた時からホテルのサービスが始まるというのは素晴らしい。
案内された部屋は家族には何かとありがたい広々とした和室でさらに風呂とトイレが別。温泉地なこともあり温泉の大浴場や露天風呂もあるのが嬉しい。朝、高知を出てなんだかんだ4時間以上も車を運転していたため疲労がどっぷり…。家族は部屋でのんびりしてもらい、ひとり道後温泉の神の湯につかった。ふぅー。道後温泉は約3000年の歴史があり日本書紀にも登場する日本最古の温泉と言われている。(ただし道後、有馬、白浜など複数有る)
夏目漱石の小説『坊っちゃん』にも登場し、広く知られているが、「伊予風土記」によると、聖徳太子や中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)らも、はるばる道後に来湯したと書かれているらしくびっくり。海を渡ってわざわざここまで来られたのか…。そんな温泉とも知らず、子供の頃は、ワイワイと銭湯のような感覚で入っていたのを想い出した。かれこれ20回以上も入っている馴染みの温泉である。
明治27年に建てられた木造三層楼の本館を今回いろいろな角度から眺めてみたが、なんともまあ素晴らしい建物であった。特に夕方や夜の風景は情緒たっぷり。大好きな映画『千と千尋の神隠し』の湯治場のモデルとしても度々聞くが、ホントのところは違うらしい。「特定のモデルはないです」と、宮崎監督が何かで言ってたから…。泉質は、アルカリ性単純温泉、無色透明でいたってシンプルな温泉。
日本書紀によると愛媛は元々、「伊予(イユ)」と呼ばれ「湯のある国」という意味らしい。なんとその頃から伊予を象徴するものとして道後の湯は広く知られていたことがわかる。ちなみに現在の愛媛は、古事記では「愛比売(えひめ)」と記され、「いい女」という意味だそうな。(司馬遼太郎著、街道をゆくより)
車に乗る予定もないので、温泉街のみやげ屋で地ビール「道後」を初めて飲んだ。これが大ヒット!キリリと冷えており、ふわっとした香りとマイルドな味わいで、うまかった。その後、家族と合流し温泉街をぶらぶら5分ほど歩くと、西洋風でレトロな駅舎、道後温泉駅が見えた。
1日乗り放題で300円の1Dayチケットを買い、チン!チン!と言いながらやって来た1両編成の薄い黄色とオレンジ色のツートンカラーの路面電車に乗り込んだ。ガタンゴトン。繁華街へ向けゆっくり動き出す。大街道駅の目の前には、ラフォーレ原宿松山というややこしい名前の大型ショップがある。松山の部分は必要ないと毎回思うのだが…どうでしょう。松山城を下から眺めながら約15分後には松山市駅前に着いた。あらためて交通の便がいい機能的な町だと感心した。
着いたホームの真横に、坊っちゃん列車がとまっていた。小説『坊っちゃん』に登場した小型蒸気機関車をディーゼル機関車として復活させたもので1時間に1,2本走っているらしい。中を覗くと出発を待つ人でいっぱいだった。なぜか大人の男の人が多かった…。
松山市駅あたりを少しぶらつき、また路面電車に乗り、来た道を戻る形で今度は大街道駅で降りた。典型的な地方都市。屋根つきの大型商店街を中心にした街並み。しかし、夜は本領を発揮する。スナックが恐ろしく多く、おとうさん達には嬉しい街と化す。5分ほど歩いた先、三番町にある知り合いの喫茶「田都」でコーヒーとゆんたくを楽しんだ。
道後温泉へ戻ろうと、路面電車に揺られていると車内から大きな夕日がゆっくりと沈んでいくのが見えた。「キレイ!」と叫んだ、息子の声が電車内に大きく響き渡った。道後温泉駅に着くと、駅の横でまた坊っちゃん列車の姿を目にした。そのまま向かったのは道後温泉のそばにある「おいでん家」という郷土料理屋。
畳の小上がりからは道後温泉へ向かう浴衣姿の人達の姿が見える。涼しい店内で落ち着き、早くも虜になった地ビール「道後」をやりながら、まずは愛媛名物のじゃこ天を頂く。うまい…………。時々田舎から送ってもらっていたがやはり愛媛の風土を感じながら食べると格別である。じゃこ天は、小魚をまるごとすりつぶし、油で揚げたシンプルな食べ物だが、どの店で食べてもそれなりに味わいが違うのがおもしろい。すりつぶす前の鮮度がポイントなのだろう。
何年か前に勤めていた会社の上司が松山を初めて訪れた時。タクシーの運転手に、松山は何が美味しいですか?と聞くと、「ないです」と答えられまいったと話していたが、松山には「じゃ、じゃこ天」がありますよ!!!と強く言ったのを思いだした。あと鯛めしも名物。子供の頃からよく食べていた(北条風)ので、逆に名物であることは最近まで知らなかった…。
鯛めしは、鯛を炊き込んだ北条風と、ごはんの上に鯛の刺し身をのせて卵と醤油を混ぜたタレをかける宇和島風とあった。北条風は何度も食べていたので宇和島風にした。初である。刺し身にすき焼きのように卵と醤油をまぜたタレをかける新しい食べ方で少し戸惑ったが、これがなかなかうまかった。家族にも好評であった。
子供もいるのでそこそこに郷土料理と酒を楽しみ店を出た。夜の道後温泉の回りは多くの人で賑わっていた。二階の休憩室の木の柵にもたれかかり、ぼんやり外の景色を眺めている浴衣姿の若い女性の姿がなんだか妙に美しかった。日本の女性は浴衣や着物がほんとによく似合う…。
ホテルへ戻り、誰もいないホテルの露天風呂をゆたゆた味わった。2歳から18際まで松山で過ごし、その松山市内にある道後は何度も来ていただが、初めて道後を知ったような一日だった。旅人として訪れると感じ方が随分と違うものだ。
(06年9月:旅々旅人) |
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