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[岩手へ向かうやまびこの窓から]
埼玉は大宮駅から新幹線の「やまびこ」に乗り込んだ。
気がつけば窓の外にのどかな田園風景が流れていた。(旅人)
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[毛越寺(もうつうじ)本堂]
藤原家二代基衡(もとひら)と三代秀衡(ひでひら)が造営させた毛越寺。
本堂自体は1989年に再建されたものだが
中に平安時代に作られた薬師如来座像が安置されている。(旅人)
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[毛越寺・平安浄土庭園]
大泉ヶ池を中心とした日本最古といわれる平安浄土庭園が
ほぼ造園時のまま現存している。
国が定めた特別名勝地でもある。(旅人)
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[月見坂]
中尊寺金色堂へは、両側に大きな杉が聳える月見坂を登っていく。
途中、中尊寺本堂や弁慶堂などがある。(旅人)
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[中尊寺本堂]
中尊寺と言えば金色堂がメインとばかり思っていたが
ちゃんと立派な本堂があった。(旅人)
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[中尊寺金色堂]
下から見上げる金色堂は全く金色らしき部分が見当たらず無機質なコンクリート。
しかししかしその建物の中に入ると
すっぽりと煌びやかな金色堂が収まっていた。(旅人)
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[中尊寺金色堂]
まさに藤原家三代の黄金文化の象徴とも言うべき建物と仏像の数々。
壁、床、柱全てに金箔が押された豪奢な造り。
極楽浄土を現世にあらわしたものとパンフレットに書かれている。
中央の須弥檀の中に初代清衡、二代基衡、三代秀衡の遺体と
四代泰衡の首級が納められているとのこと。
※撮影が禁止のためパンフレットより。(旅人)
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[高館義経堂]
源義経の居館跡であり自害の場所ともなった高館(たかだち)跡。
1189年に源頼朝の策略に陥った藤原泰衡に攻め込まれ、
高館に火を放った後自害したので当時の建物は残っていない。
その後1683年に伊達家により義経堂が建てられ木像が納められている。(旅人)
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[高館義経堂から]
高館義経堂から見渡せる風景が素晴らしかった。
北上川を前面に、北上平野と束稲山(たばしねやま)が一望できる。
義経も何度も見つめたであろう。 「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」
この地を訪れた松尾芭蕉はそんな句を残した。(旅人)
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[無量光院跡]
高館義経堂を後にし、平泉駅までぶらぶら歩いている途中、
緑の芝生が不自然に広がる場所があり、なんだろうと近づくと、
そこがかつて宇治の平等院を模して造られた「無量光院」の跡地であった。(旅人)
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[花巻温泉郷・大沢温泉]
秘境的な温泉地をイメージしていたが、それほど山奥ではなかった。
高村光太郎や宮沢賢治もよく訪れた湯治場で、
開湯は約1200年前にもさかのぼる。(旅人)
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[大沢温泉・自炊部]
大沢温泉はいくつかの建物がつながっており風呂も8つほどあるらしい。
山奥の古びた小学校のような建物の中をミシミシ音を立てながら歩いた先に、
新緑を背景にした露天風呂「大沢の湯」があった。(旅人)
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[大沢温泉・大沢の湯]
風呂の下は川が流れている。ちなみに混浴…。
湯は無色透明でやや熱め(アルカリ性単純泉)。
温泉らしさはないが自然に溶け込むような露天風呂に
全身が喜んでいた。(旅人)
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[大沢温泉・大沢の湯]
菊水館に架かる橋の上からはまる見え…。(左下)
女性には少しハードルが高い温泉かしら。
8つ程ある風呂の内、混浴はここだけ。(旅人)
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[大沢温泉・豊沢の湯]
風呂の奥にはまたしても新緑がありせせらぎが聞こえてくる。
こちらは大沢の湯と違い、ぬるっとした肌触りがあり実に温泉らしかった。
それにしても一人でこの湯につかれるのはなんと贅沢なことか。(旅人)
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[盛岡城跡]
約280年にわたりこの地を収めた南部氏20万石の居城であった。
戊辰戦争で旧幕府側についたため、
明治6年に天守閣など多くの建物が取り壊された。
本丸や二の丸跡の石垣は本物でかなり壮大で見応えがある。(旅人)
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