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1:毛越寺・浄土庭園
2:花巻温泉郷・大沢温泉
3:前沢牛の焼肉
4:花巻温泉郷・大沢温泉 |
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>>詳細地図(Googleマップリンク) |
[アクセス] |
●大宮駅→(やまびこ:約2時間)→一ノ関駅→(東北本線:約8分)→平泉駅→(徒歩:約10分)→毛越寺→(徒歩:約35分)→中尊寺・金色堂→(徒歩:約15分)→高館義経堂
●平泉駅→(東北本線:約6分)→前沢駅→(徒歩:約5分)→おがた
●前沢駅→(東北本線:約35分)→花巻駅→(バス:約25分)→バス停大沢温泉→(徒歩:すぐ)→大沢温泉 |
[関連サイト] |
■中尊寺
福島県会津若松市栄町5-31
■毛越寺
■肉料理おがた(駅東店)
岩手県奥州市前沢区向田1-22
■花巻温泉郷・大沢温泉 |
[旅行手配内容] |
●新幹線(JR緑の窓口):約33,000円(全費用) |
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岩手と聞いてまず思い浮かぶのが豪奢な中尊寺・金色堂。そして平安時代にその栄華を築いた藤原氏と、この地で果てた英雄源義経。平泉をいつか訪れてみたい。何年か前の大河ドラマ(義経役:滝沢秀明、弁慶役:松平健、藤原秀衡役:高橋英樹)を見て、さらにその思いは膨らんだ。
朝の6時30分。埼玉は大宮駅からやまびこに乗り込む。気がつけば窓の外にのどかな田園風景が流れる。しかしこの日は、車窓よりも新幹線の快適な椅子にもたれ読書の気分。バックに入れてきた読みかけの小説を開いた。最近、新幹線ほど読書に最適な場所はないのでは…と、しみじみ思う。あの椅子が落ち着くのだ。しかも隣に人がいなくて窓側であれば文句なし。(笑)
大宮を出て2時間ほどで岩手の一ノ関駅に着いた。ここから東北本線に乗換え二つ目が平泉駅。あっという間。小説が面白かったので、もう少し読んでいたいくらいであった。小さな平泉駅を出てまずは藤原家二代基衡(もとひら)と三代秀衡(ひでひら)が造営させた毛越寺(もうつうじ)へ向け歩く。天気は快晴。かつての栄華を感じさせるものが見事に何もない風景を抜け10分程で着いた。
入るとすぐに堂々たる本堂の姿が目に入る。本堂自体は1989年に再建されたものだが中に平安時代に作られた薬師如来座像が安置されている。そして本堂の側には、大泉ヶ池を中心とした日本最古といわれる平安浄土庭園がほぼ造園時のまま静かに広がっている。素朴な庭園で鮮やかな新緑に囲まれ気持ちのいい空間だった。毛越寺は国が定めた特別史跡・特別名勝でもある。
毛越寺を後にし、平泉の空気を全身で感じながら徒歩で向かったのは中尊寺。20分ほど歩くと中尊寺への参道、月見坂へ入る手前に武蔵坊弁慶の墓があった。しかしながらその時に浮かんだ弁慶の顔は松平健さん…。大河ドラマで見事にハマッていたので頭からずっとぬけない…。(笑)
両側に大きな杉が聳える月見坂の途中に、弁慶堂(1828再建)なる建物があった。弁慶堂とはなんぞや?側で土産を売っていたおかあさんに、なぜここが弁慶堂と呼ばれているのか聞くと、
「中に弁慶の等身木像が安置されているから」
と、素早くもシンプルな答えが返ってきた。そして、
「身長は185センチ」
と、言い足してくれた。弁慶の横の義経が随分と小さく見えた。150センチないのでは…。
さらに上へ登りようやく中尊寺本堂に到着した。中尊寺と言えば金色堂がメインとばかり思っていたがちゃんと立派な本堂があった。金色堂はさらに上にあり、それを背景にした広場が団体客の絶好の撮影場所らしく随分と賑わっている。下から見上げる金色堂は全く金色らしき部分が見当たらず無機質なコンクリート。しかししかしその建物の中に入るとすっぽりと煌びやかな金色堂が収まっていた。いやー派手だねーこりゃ。
まさに藤原家三代の黄金文化の象徴とも言うべき建物と仏像の数々。壁、床、柱全てに金箔が押された豪奢な造り。極楽浄土を現世にあらわしたものとパンフレットに書かれている。まあしかし、よくぞこれらが何百年も経て現存しているものだと深く感動した。中央の須弥檀の中に初代清衡(きよひら)、二代基衡(もとひら)、三代秀衡(ひでひら)の遺体と四代泰衡(やすひら)の首級が納められているとのこと。
「五月雨の 降りのこしてや 光堂(ひかりどう)」
松尾芭蕉がうたった句。
1189年、藤原氏の滅亡後は寺運も衰え、野火によって建物の大半を失ったが金色堂と経堂は奇跡的に現存している。(郷土資料事典より)また、仏像や仏具、写経など平安時代の美術・工芸品の数々も多く現存しており金色堂手前の讃衡蔵(さんこうぞう)で見られる。国宝、重要文化財3千点以上を収蔵。まるで美術館を見て回る感覚であった。
月見坂を降り5分ほど歩くと、静かな風景の中に源義経の居館跡であり自害の場所ともなった高館(たかだち)跡がある。1189年に源頼朝の策略に陥った藤原泰衡に攻め込まれ、高館に火を放った後自害したので当時の建物は残っていない。しかしその後1683年に伊達家により小さな義経堂が建てられそこへ木像が納められている。一の谷、屋島、檀ノ浦での平家討伐と絶大な人気。頼朝が武家政治を行っていくうえで義経を恐れるのも無理はないが…。
高館跡(義経堂)から見渡せる風景が実に素晴らしかった。優雅に流れる北上川を前面に、北上平野と束稲山(たばしねやま・標高596m)が一望できる。義経も何度も見つめたであろう。
「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」
この地を訪れた松尾芭蕉はそんな句を残した。
高館義経堂を跡にし、平泉駅までぶらぶら歩いている途中、緑の芝生が不自然に広がる場所があり、なんだろうと近づくと、そこがかつて宇治の平等院を模して造られた「無量光院」の跡地であった。
中尊寺本堂や金色堂を見た後だが、本当にこの地に黄金文化と呼ばれた華やかな国が存在していたのかと疑いたくなるほど素朴な風景が音もなく視界に映るばかりであった。
平泉駅から再び東北本線に乗り込み隣の前沢駅で降りた。この電車は降りるとき、自分でボタンを押さなければ開かないので多くの人があわてふためく。もちろん僕も同じく…(笑)
前沢駅で降りたのは当然前沢牛を食べるため。目的はそれだけ。駅から歩いて5分のところに「おがた」という大きな焼肉屋を見つけ、「前沢牛焼味くらべ(3,500円)」なるランチを平らげた。この店は全国規模の大会で何度か最優秀賞や名誉賞を受賞しているらしく入口にはトロフィーが並べられていた。
再び前沢駅から東北本線に乗り、読書と車窓を交互に楽しみながら花巻駅で降りた。今度の目的はもちろん温泉。今回は温泉に入る予定などはなかったが晴天の下を2時間近く歩いたことで、激しく身体が湯を求めたため急遽変更。駅前のコンビニで水色のタオルを買い、バス停へ行くとすぐに大沢温泉を経由するバスが入ってきた。
バスに30分近くゆられ、まさに大沢温泉という名のバス停で降りると大沢温泉はすぐ目の前だった。秘境的な温泉地をイメージしていたが、それほど山奥でもなく通りには酒屋などもある。高村光太郎や宮沢賢治もよく訪れた湯治場で、開湯は約1200年前にもさかのぼる。
自炊部という自炊をしながら泊る建物(約200年前の建物)の入口から入り、そこにいた宿のおにいさんに、
「日帰り入浴お願いします」と伝えると、
「500円になります」と、銭湯並みの値段が返ってきた。
そしてパンフレットを見せられながら、どこにどの風呂があるか丁寧な説明を受けた。
大沢温泉はいくつかの建物がつながっており風呂も8つほどあるらしい。山奥の古びた小学校のような建物の中をミシミシ音を立てながら歩いた先に、新緑を背景にした露天風呂「大沢の湯」があった。風呂の下は川が流れている。ちなみに混浴…。大胆にも風呂場の横の下駄箱のような木箱とちょっとしたスペースがそのまま脱衣所らしかった。
先客は4人ほどあり、1人はおばちゃん…。湯は無色透明でやや熱め(アルカリ性単純泉)。温泉らしさはないが自然に溶け込むような露天風呂に身体全身が喜んでいた。さてとせっかくなのでもう一風呂。再び自炊部のミシミシする廊下を抜け、やや近代的な山水閣にある半露天風呂「豊沢の湯」へ行くと湯客は誰もいなかった。す、すばらしい…。
そして風呂の奥にはまたしても新緑がありせせらぎが聞こえてくる。こちらは大沢の湯と違い、ぬるっとした肌触りがあり実に温泉らしかった。湯自体はこちらがお気に入り。それにしても一人でこの湯につかれるのはなんと贅沢なことか。わざわざバスで来る価値が大いにある。風呂は全部で8つほどあるが短時間でそんなにいくつも入ってもしょうがないので2つで切り上げた。やー気持ちよかった。
バス停の椅子にこし掛けビールを片手に、バスを待った。ほどなく現れたバスに乗り込み、また読みかけの小説を開いた。新幹線と違いゆれまくるバスでの読書はいかがなものかと思ったが、風呂上がりの快適さとビールの酔いも手伝って、それはそれでよいものだと感じた。
(08年5月:旅々旅人) |
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